ミーカガンについて
モンパノキの特性を活かして作られるミーカガンは、自らも糸満の漁師だった「玉城保太郎(たまぐすく やすたろう、写真右)」氏によって明治17年(1884)に発明され、瞬く間に琉球列島全域に広がりました。
泳ぎながら魚を脅して網へ追い込む「アギャー」「パンタタカー」と呼ばれる追込み漁や、素潜りでの貝の採取が盛んになったのは、ミーカガンの発明があったからと言っても過言ではありません。それまでは何も着けずに潜水していた海人は、海水に含まれる塩分等の影響で目がただれ、視力が低下する者が少なくなかったのです。
明治当時のミーカガンは離島ではとても高価な物で、粟5俵と交換されたとか、牛1頭では交換出来なかったとも伝えられています。
ミーカガンはその後も改良が重ねられながら現在に至るまで使われてきましたが、その形状は120年以上前の当時から現在の競泳用ゴーグルに酷似していました。そのデザインの先進性が良く解ります。
ミーカガンの制作にはモンパノキ(方言名:ハマスーキ)が用いられていますが、モンパノキは芯に小さな穴があって柔らかく加工しやすい上に、乾燥しににくくて反り返らないと言う特徴があり、材料として最上とされています。
糸満海人工房がお届けするミーカガンは、主宰の上原謙が少年時代に最後のミーカガン作り名人と言われた金城勇吉(1882〜1992年、写真左)の手伝いをしながら作り方を教わり、金城氏の没後にはその子孫から譲り受けた道具を用いて、当時の制作方法に基づいて忠実に再現している物です。
制作の現場から
糸満 海人工房・資料館は2009年11月より、糸満市(海人課)のご厚意によって糸満海のふるさと公園内の広々とした施設に移転し、地元の小中学校や観光客の皆様に大人数で訪問して頂く機会が増えました。
気持ちの良い風が吹き抜ける資料館玄関から中に入ると、まずは沢山の帆掛けサバニや漁具の展示が目に入ります。普段は訪問客で溢れるスペースの奥に、上原謙が愛用している工作机があります。
運が良ければ、上原謙がミーカガンの製作に没頭している現場に遭遇出来るかもしれません。
製作途中のミーカガン。型出しと荒削りの工程が終わった段階です。この後には更に細かな削り作業やガラス入れの工程等が続きます。もちろんこれらの作業のすべてが手作業によるものです。
ミーカガンが決して大量生産出来るものでない事がお判り頂けるかと思います。
モンパノキ(方言名=ハマスーキ)から切り出し、荒削りを終えた段階のミーカガンです。
お取り扱いについて
※このミーカガンにはガラスが用いられている等、昔の作り方が忠実に再現されていますので、実際にご利用頂く事は危険を伴う場合があります。鑑賞用、研究用の目的のみでご利用下さい。
※一品ずつ手作りで製作されていますので、写真のものと形状・大きさ等が異なる場合があります。予めご了承下さい。
※乾燥による変形や劣化を避ける為に、少なくとも1〜2ヶ月に一度は海水や真水に浸けられる事をお勧め致します。
データ
重量:約30g
材料:モンパノキ、ガラス、ゴムひも他
解説ページ:ミーカガンに関する詳しい解説は、解説ページをご覧下さい。
購入されたお客様からの一言
Tさん(45歳、神奈川県在住):沖縄に行く際には、羽田空港から既にミーカガンを首にぶら下げています(笑)。特にアクセサリーという訳ではありませんが、これをつけていると単に「沖縄に行く」というのでなく「沖縄の海に行く」という気分になります。
Oさん(48歳、愛知県在住):何度眺めても飽きのこない、その形の完成度にホレボレしています。
Sさん(65歳、京都府在住):植物を研究している関係で、植物に関連する民具の私設博物館を計画しています。知人から紹介されて入手する事が出来ましたが、ミーカガンは沖縄の素晴らしい漁業文化の結晶だと思います。